翔んで埼玉を見た。【ネタバレ注意?】
先日、『翔んで埼玉』という映画が公開された。
原作も読んだことがあり、埼玉県民でもある私は「これは見にいくしかない」と思い、即座に映画館へ足を運んだ。
この映画の中の埼玉県民は「埼玉県民である」という理由だけで東京都民から迫害を受け、しかも通行手形がなければ東京に自由に行き来することすらできない。
そのような世界でGACKT扮する超エリート帰国子女だが実は埼玉県民である「麻実麗」が、二階堂ふみ扮する東京都知事の息子である「壇ノ浦百美」とともに、埼玉を解放すべく革命を起こす。
物語の中では主な舞台となる埼玉や東京の他にも、千葉県、神奈川県そして群馬県などの関東の他県も絡んでくる。
しかし、それについて詳しく語るとかなりのネタバレになってしまうので、控えておこう。
とにかく非常に面白い作品なので、埼玉県民でなくともぜひ見て欲しい。
先の簡単な説明でも書いたように、この作品内ではひたすら埼玉が馬鹿にされる。
悲しいことに埼玉県民は時埼玉のことを馬鹿にされるのに慣れている。
埼玉県民であれば、よくわかるだろう。
埼玉県民でない皆さんもよくテレビなどで埼玉が馬鹿にされるのを見たことがあるのではなんとなく理解できるのではないかと思う。
馬鹿にされすぎて、私たち埼玉県民も他県民の前でヘラヘラ笑いながら埼玉をバカにし自虐する。
「どうせ埼玉だからさ〜。」
「だってださいたまだもん。笑」
さも埼玉への地元愛などないかのように。
この『自虐行為』は当たり前のようになっているが、『翔んで埼玉』を見た後、私はこう思った。
はたしてこのままでいいのだろうか?
と。
『翔んで埼玉』の中のあるシーンで加藤諒扮する埼玉県民の下川はこう言う。
「みんなださいたまださいたまってさ、自分たちでもバカにして言うけど、心の中では悔しいんだよ!何もなくたって住みやすくていいところじゃんか!」
また、主人公である麻実麗は埼玉のことを卑下する埼玉県民に向けて度々こう言う。
「埼玉県民はもっと誇り高き民族だと思っていた。」
彼はこうも言った。
「埼玉には何もないと言うが、『誇り』があるじゃないか!」
そうだ、その通りだ。
埼玉県には何もないかもしれない。でもモールも多く、東京にも近く、生活には困らない、むしろ住みやすくて非常に便利なところだ。
私たち埼玉県民は、このような「住みやすくて便利な埼玉に生まれたこと」、「埼玉で育ったこと」、「埼玉に住んでいること」をもっと誇りに思うべきなのだ。
私たち埼玉県民は埼玉のことをほぼ自慢しない。
実際私自身、埼玉のことを自慢する県民に会ったことがない。
しかし、埼玉のことを嫌っている県民に会ったこともない。
多くの県民は本当は好きと感じているはずである。
非常に住みやすく、なんでも揃っているこの県のことを。
私もこの住みやすい埼玉県のことが好きだ。
そうだ、私たちの埼玉は誇るべき最高の県なのだ。
今日からは埼玉県民であることを誇りに思い、胸を張って生きていこうではないか。
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埼玉には海もなければ観光名所もない。
そのことを今後また他県民から馬鹿にされることがあるだろう。
そんな時は、カリスマ麻実麗のこの言葉を思い出そうではないか。
「埼玉には何もないと言うが、『誇り』があるじゃないか!」
何もなくても誇りがあるんだ。
そのことを胸に刻み、軽くさいたまポーズを決めながら、私は今日も東武東上線に乗る。