日々是精進。

体験したこと、見たこと、感じたことなどを好きなように書いていきます。

大学は私に何を教えてくれたのだろうか。

先日、大学を卒業した。

 

私の大学は実家から通える距離にはなかったため、私は大学の近くで一人暮らしをしていた。

 

高校を卒業し、初めての一人暮らし。期待と不安に胸を膨らませながら大学生活が始まった。

遊びと勉学に励み、4年間続けた居酒屋でのアルバイトで初めての「労働」も経験し、また留学などの様々なプログラムにも参加した。そういった様々な活動の中で、良き仲間たちとも出会えた。

 

「なぜもっと充実した大学生活にしなかったのだろうか」とつい最近まで後悔していたが、こうしてよく思い出し、実際に文字に起こしてみると色々な経験を積み、なかなか充実した大学生活だったのではないかとも思える。

自分にしてみれば及第点だろう。よくがんばった。

 

そして、約4年間過ごし、数多くの思い出があるこの街を去る日が来た。

 

 

長いようで短かった4年間。

今思うと一瞬だったようにも感じる。

 

そんな4年間で私は一体何を学べたのだろうか。

 

自分の専門であった経済学の知識や教養だろうか?はたまたプレゼンテーションなどのスキルだろうか?

 

当然これらは大学で学んだことであり、確実に今後に活きていく知識やスキルだ。

しかし、それらはオマケであると思っている。

 

では、大学で学んだことの中で最も重要なことはなんだったのだろうか。

この4年間の大学で学んだ中で最も重要だと思っていることは

「情報収拾能力」

である。

 

「なんだそんな当たり前のことか」、そう思う方も多いだろう。

しかし、単純なことだが非常に重要なことだ。

 

 

私がこれが非常に重要だと思ったきっかけを例として挙げてみよう。

 

私の大学には学生が留学する際に、希望すれば給付型(返済不要)の奨学金に応募することができた。これは書類選考のみで選考も非常に単純なものだった。

この奨学金では留学先の地域にもよるが、月6~10万円×留学期間分だけお金がもらえる。

 

実際に私自身もこのシステムをフル活用し、合計で200万円近くの給付型の奨学金を得ることができた。

もちろん、一定の基準を満たす必要があるが、普通にGPA2.0(最大値が4)くらい取っていればいい、と言ったくらいの全く高くない基準である。

したがって、留学する際にはその給付型(返済不要)の奨学金制度があることを知っている上で応募しさえすれば、高確率でこのシステムの恩恵を得ることができるのだ。

実際学務の人にも聞いたことがあるが、書類をきちんと揃えて応募しさえすればほぼ通る奨学金、とのことだった。

 

さて、これを聞いて「留学してみたいけどお金がかかるからなあ…」と思っていた人たちは留学に応募してみようと思うだろうか。

多くの人はこんな制度があるならば応募しようと思うのではないだろうか。

 

しかし、私の周囲には「お金がかかるから留学したいけど諦めよう」という人がたくさんいた。

アメリカなど、物価が高かったり寮費が非常に高いところに行くにはこの奨学金では心許ないため、そのようなことを言う気持ちはわかった。

しかし、アジアの国々などの物価が日本よりも安い国に留学してみたいと思っている人でも、「お金がないから」と言う理由で留学を断念している人たちがいた。

のちにこのような制度があったということを伝えると、彼らはそれなら留学したのに、と口を揃えていった。

 

彼らはこのような制度があるという情報を知らないというだけで留学したいのにできなかったのだ。

 

少し調べたり、大学に問い合わせればすぐわかることだったのにも関わらずだ。

 

情報をつかめていなかったがために目の前に転がっていたチャンスを逃したのだ。

 

私と彼らとの差は明らかな通り「情報を得ていたか否か」である。

それだけで私は合計200万円ほど得をしながら留学して様々な経験を得た。

一方で彼らは、留学に関していえば、何も得られなかった。

 

もちろん、留学しなければかかっていないようなお金もかかったし、私が留学していた期間で彼らはもっと有意義なことをしていたかもしれない。

しかし「元々同じ留学をしてみたかった学生であった」という観点から見れば、情報を得て留学し、かなりの得をした私の方が後悔せずにすむ人生を歩めたのではないかと思う。

 

このように、情報を持っているかどうかで大きな差が生まれることがある。

この一件から情報収拾能力の必要性に私は気づき、この能力を強化しようと思ったのだ。

 

 

「知っている」のと「知らない」の間には大きな溝がある。

 

事実、現代では情報を持っているものたちが情報を持たないまたは持てないものたちからその情報格差を利用し搾取する、ということが往往にして起きている。

 

 

そのようなただ気づかないまま搾取される側にならないためにも情報収拾能力やそれができる環境は非常に重要だと思う。

 

そういった今後生きていく上で基礎となることを私は大学で学び、身につけられたのだと思う。

 

 

 

 

このように、大学は様々な知識やスキルだけでなく、「情報収拾」という生涯使える武器を私に与えてくれた。

本当に感謝している。そんな母校のことが大好きだ。

 

そして、今日も私はスマホを片手にせっせと情報を集める。

翔んで埼玉を見た。【ネタバレ注意?】

先日、『翔んで埼玉』という映画が公開された。


原作も読んだことがあり、埼玉県民でもある私は「これは見にいくしかない」と思い、即座に映画館へ足を運んだ。

 

この映画の中の埼玉県民は「埼玉県民である」という理由だけで東京都民から迫害を受け、しかも通行手形がなければ東京に自由に行き来することすらできない。

そのような世界でGACKT扮する超エリート帰国子女だが実は埼玉県民である「麻実麗」が、二階堂ふみ扮する東京都知事の息子である「壇ノ浦百美」とともに、埼玉を解放すべく革命を起こす。

物語の中では主な舞台となる埼玉や東京の他にも、千葉県、神奈川県そして群馬県などの関東の他県も絡んでくる。

しかし、それについて詳しく語るとかなりのネタバレになってしまうので、控えておこう。

 

とにかく非常に面白い作品なので、埼玉県民でなくともぜひ見て欲しい。

 

 

先の簡単な説明でも書いたように、この作品内ではひたすら埼玉が馬鹿にされる。

 

悲しいことに埼玉県民は時埼玉のことを馬鹿にされるのに慣れている。

埼玉県民であれば、よくわかるだろう。

埼玉県民でない皆さんもよくテレビなどで埼玉が馬鹿にされるのを見たことがあるのではなんとなく理解できるのではないかと思う。

 

馬鹿にされすぎて、私たち埼玉県民も他県民の前でヘラヘラ笑いながら埼玉をバカにし自虐する。

 

「どうせ埼玉だからさ〜。」

「だってださいたまだもん。笑」

 

さも埼玉への地元愛などないかのように。

 

この『自虐行為』は当たり前のようになっているが、『翔んで埼玉』を見た後、私はこう思った。

はたしてこのままでいいのだろうか?

と。

 

 

『翔んで埼玉』の中のあるシーンで加藤諒扮する埼玉県民の下川はこう言う。

 

「みんなださいたまださいたまってさ、自分たちでもバカにして言うけど、心の中では悔しいんだよ!何もなくたって住みやすくていいところじゃんか!」

 

 

また、主人公である麻実麗は埼玉のことを卑下する埼玉県民に向けて度々こう言う。

 

「埼玉県民はもっと誇り高き民族だと思っていた。」

 

彼はこうも言った。

 

「埼玉には何もないと言うが、『誇り』があるじゃないか!」

 

 

そうだ、その通りだ。

埼玉県には何もないかもしれない。でもモールも多く、東京にも近く、生活には困らない、むしろ住みやすくて非常に便利なところだ。

私たち埼玉県民は、このような「住みやすくて便利な埼玉に生まれたこと」「埼玉で育ったこと」「埼玉に住んでいること」をもっと誇りに思うべきなのだ。

 

 

 

私たち埼玉県民は埼玉のことをほぼ自慢しない。

実際私自身、埼玉のことを自慢する県民に会ったことがない。

しかし、埼玉のことを嫌っている県民に会ったこともない。

多くの県民は本当は好きと感じているはずである。

非常に住みやすく、なんでも揃っているこの県のことを。

私もこの住みやすい埼玉県のことが好きだ。

 

そうだ、私たちの埼玉は誇るべき最高の県なのだ。

 

今日からは埼玉県民であることを誇りに思い、胸を張って生きていこうではないか。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

埼玉には海もなければ観光名所もない。

そのことを今後また他県民から馬鹿にされることがあるだろう。

 

そんな時は、カリスマ麻実麗のこの言葉を思い出そうではないか。

 

 

「埼玉には何もないと言うが、『誇り』があるじゃないか!」

 

 

何もなくても誇りがあるんだ。

 

そのことを胸に刻み、軽くさいたまポーズを決めながら、私は今日も東武東上線に乗る。

TWICEが自分を変えてくれた話。

TWICEをご存知だろうか?

 

TWICEとは日本人3人、韓国人5人、台湾人1人の計9人で構成されている韓国のアイドルグループである。

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最近では日本のニュース番組等で取り上げられることも珍しくないためなんとなく知っている、という方も多いだろう。

 

私はそんなTWICEの大大大ファンだ。

 

TWICEが好きになるまで、私はアイドルというものがあまり好きではなかった。

というのもアイドルと聞くとアイドルファンのことを連想してしまい、そのファンというものに対してなんとなく気持ち悪いイメージがあり、世間的にもあまりよくないイメージを持たれていると思っていたからだ。

 

そんな私はある日韓国人の友人にTWICEを勧められた。

 

初めは抵抗したものの、あまりにも強く勧めてくるため、渋々TWICEの代表的なヒットソングである「TT」のPVを見た。

 

一目見て私は思った。

 

「なんなんだこれは…」

 

全身に稲妻が走ったような感覚を覚えた。

 

「メンバーのルックスも良ければ、メロディーも歌詞もダンスも良いじゃないか…」

 

完璧だったのだ。こうして一発で彼女たちの虜になった。

 

それから暇さえあればTWICEの動画を見るようになり、音楽を聴くときは常にTWICEの曲を聴き、ついにはダンスまで踊れるようになった。

そしてその頃から私はTWICEを周囲の人々に勧めるようになっていった。

 

元来私は人の目を非常に気にし、常に他人の顔色を伺って生きてきた。それもあってか主張することが苦手だった。好きなものを好きと主張することすら人の目を気にするあまりなかなかできなかった。

 

しかし、このTWICEが私の前に現れたことでそれがだんだんと変わっていった。

 

初めは当然今まで通り人の目を気にした。しかし、TWICEというアイドルは、どちらかといえば世間的にもあまりよく思われていないという人の目を気にする私にとってはアイドルファンというものに自分がなったとしても勧めたいほどに良すぎた。どうしても人に勧めたくなった。

 

それだけでは止まらなかった。私はTWICEのダンスを人前で堂々と踊るようになった。

 

お勧めだけならまだしも、ダンスまですると流石にドン引きしているような目で見る人も出てきた。それでも私は人前でもなんの恥ずかしげもなく踊ったし、周囲にTWICEを布教し続けた。

 

そのようなことをしていたおかげ(?)でだんだんと人の目が気にならなくなった。

生まれてからずっと悩んでいたことが、TWICEと出会ってからのものの数ヶ月で解決してしまった。

 

どうして私はTWICEを好きになることでここまで変わることができたのだろうか?

 

昔、人の目を気にすることを克服した、と語る人にどのようにして克服したのか、と聞いたことがある。

その人は自分の問いに対してこう答えた。

 

 「人の目が気にならないくらい好きで夢中になれることができたからだよ」

 

当時は意味がわからなかった。その程度で、この深刻な問題が解決するわけがない、そう思っていた。

しかし、私はTWICEを好きになって初めてこの人の言っていることが理解できた。

 

『好き』は止まらない、止められないのだ。

 

TWICEを好きになった後にも他のある出来事があり、それが自分をさらに変える、ということもあった。それについてはまた別の機会に書こうと思う。

 

しかし、その出来事が起きることとなったのも、TWICEと出会い、自分を少しずつ変えることができていたからだと胸を張って言える。

 

始まりはTWICEだった。

 

私が変わるきっかけをくれたのは外でもないK-POPアイドルのTWICEだった。

 

この出会いのおかげで私は変わることができ、毎日充実した日々を過ごしている。

 

そのことを噛み締めながら今日も私はTWICEの音楽を聞く。

はてさて、今日はどれを聞こうか。

嗚呼、来月のライブも楽しみだ。

 

ブログをはじめてみる。

どうも。

 

周囲の人たちでブログをやっている人が結構いた。

 

その人たちの文章を読み、自分でも書けそうだなと思ったりしていた。

 

色々と書いてみたいこともあるし、私もはじめてみようかな、とずっと思っていた。

 

しかし、いざやろうと思っても腰が重く、なかなかはじめられないでいた。

 

「もしブログを始めたなら、こんな文章を書くんだ」と妄想に耽り、「本当にはじめたら素晴らしい文章が書けそうだなあ」と考えてばかりで、実際に文字に起こしてみることすらなかった。

 

そんな私がついにブログを本当に始めた。

 

始める前はこんなことやあんなことを書いてやろう、と思っていたのに、いざ書いてみるとなかなかどうしてうまくまとまった文章にならない。

 

しかし、せっかく始めたのだからグチャグチャな文章でも頑張って書き続けてみようと思う。

 

飽き性なのでいつまで続くかはわからないが。

 

 

ということで、文体や主語が統一されておらず、グチャグチャな文章になっているかもしれないが、そこはご愛嬌ということで大目に見て欲しい。

 

ま、友人にこのブログのことを共有するつもりも今のところはないし、こんなブログを見る物好きも多くないとは思うが。

 

てことで、よろしく。

 

さて、次は何を書いてやろうか。